「違う意見は、恋を遠ざけるとは限らない」
植物園の門に「夏の夜間散策会」の看板が掛かった日、照明デザイナーの琴音は、腕いっぱいの色見本を抱えてやって来た。 昼間しか開かない園内を一晩だけ公開する企画で、彼女は歩道を彩る灯りの演出を任されていた。 木々の間に淡い橙色を落とし、池の周りには星のような光を散らす。 そんな絵を描いていると、背後から「池のあたりは暗いままにしてほしいんです」と声がした。 園の管理担当、悠生だった。

「暗いと、お客さんが楽しめないでしょう」 琴音が言うと、悠生は水面を指さした。 「ここは夜、虫や小さな生き物が動く場所です。 強い光は、できるだけ避けたいんです」 間違ったことを言われたわけではない。 それでも、初対面で自分の提案を否定された気がして、琴音は色見本を閉じた。
打ち合わせのたびに意見は分かれた。 琴音は「初めて来た人にも、夜の庭を好きになってほしい」と言い、悠生は「この庭にいる生き物の時間も守りたい」と答える。 悠生は決して声を荒らげなかったが、簡単には折れなかった。 琴音も譲れず、会議が終わるころにはいつも少し疲れていた。 なのに気づけば、次に何を言われるかを考えている自分がいた。
ある夕方、琴音は帰り際に温室の前で立ち止まった。 悠生がしゃがみ込み、傷んだ名札を一枚ずつ取り替えていた。 「そんな細かいところまで見るんですね」 声をかけると、彼は「名前が分かると、ただの葉っぱじゃなくなるから」と笑った。 作業を手伝いながら聞いたのは、祖母に連れられて植物園へ通った子どものころの話だった。 琴音も、暗い帰り道で見た商店の明かりが好きで、光を仕事にしたことを話した。 二人は初めて、意見を戦わせずに一時間を過ごした。
それから悠生は、日が落ちた園内を案内してくれた。 昼には目立たなかった白い花が、薄闇の中でほのかに浮かび、草の奥から小さな音が聞こえた。 琴音は思わず「きれい」とつぶやいた。 悠生は「でしょう」と得意そうに笑った。 彼の横顔が気になって、琴音は花の名前を一つ聞き逃した。 彼が大切にしているものを知るほど、琴音は反論するのが怖くなった。 仕事の意見が違うだけなのに、自分の気持ちまで拒まれたように感じてしまう。
本番まで十日となったころ、主催者から連絡が入った。 「高齢の方や小さな子も来ます。 暗すぎて歩きにくくなるのは困ります」 琴音は必要な明るさを確保する案を持っていったが、悠生は図面を見て黙り込んだ。 「また反対ですか」 琴音が強い口調になると、彼は「この配置だと、池まで光が届く」と答えた。 「だったら、あなたが全部決めればいい」 言ってすぐ後悔したが、謝ることができなかった。
翌日、琴音は一人で試験用の灯りを組み立てた。 遮光板の角度を変えると、歩道は照らせるのに池の水面にはほとんど光が落ちない。 なぜ最初から、こうして二つの条件を満たす方法を探さなかったのだろう。 相手の意見を、自分への評価だと受け取っていたことに気づいた。 同時に、説明を尽くさず拒まれる寂しさも本物だった。 琴音は悠生に、試験を見てほしいと連絡した。
その夜、二人は歩道の端にしゃがんで灯りを確かめた。 「言い方がきつくなって、ごめんなさい」 琴音が先に言うと、悠生も頭を下げた。 「僕も、駄目な理由ばかり言っていました。 琴音さんが何を見せたいのか、聞いていなかった」 琴音は、暗い場所が苦手な子どもでも安心して歩ける庭にしたいと話した。 悠生は、夜の生き物の居場所を残したいと話した。 願いを一つずつ並べると、不思議なほど対立して見えなかった。
二人は光を歩道の低い位置に絞り、池を見渡す場所には明かりを置かないことにした。 そこでは係員が小さなグループを案内し、立ち止まって夜の音を聞く。 琴音は暗闇を演出の一部にし、悠生は安全な歩き方を説明するカードを作った。 準備の途中で意見が違うたび、二人は「何を守りたい?」と聞くようになった。
散策会の夜、灯りは人々の足元だけをやさしく照らした。 池の前では、子どもたちが声をひそめて水の音を聞いていた。 一人の女の子が母親に「真っ暗なのに、なんだかきれい」とささやいた。 琴音は隣の悠生を見て、彼も自分を見ていることに気づいた。 二人は声を立てずに笑った。 その沈黙が、以前とは違って心地よかった。
片づけを終えたあと、悠生が小さな紙袋を差し出した。 中には温室で育てた白い花の苗と、手書きの名札があった。 「違う考えの人と仕事をするのが、こんなに楽しいと思ったのは初めてです」 琴音は苗を両手で受け取った。 「私も。 それに、仕事が終わっても会いたい」 悠生は少し驚いたあと、まっすぐに答えた。 「僕もです。 今度は、お互いに好きな場所を案内しませんか」 琴音は「まずは私の好きな夜景から」と笑い、悠生は「その次は、朝の植物園」と約束した。
恋が動いたのは、どちらかが考えを曲げたからではなかった。 違いの奥にある願いを聞き、自分の願いも隠さなかったからだった。 同じ景色を見なくても、隣に立ちたいと思える人がいる。 琴音は苗の名札をそっと撫で、次に会う日のことを考えた。


